洛中に住む。

気が付くと、洛中に住んでいた。


「九州旅日記」を放置することしばし、この間には色んなことがあった。昨年12月には、ようやく年貢を納めることとなり、めでたくかつひっそりと入籍を行い(式は挙げず)、今年初めにはラオスにハニームーンに行き、その後ダデコ先生の介護問題に直面し、清水の舞台から墜落する勢いで自宅を購入しリフォームを行い、これまた気が付くと二人の愛の結晶が腹の中に宿り、なんと来月にはこの世にその姿を現す予定となっていた。書ききれないほどいろんなことがあった。そんなわけで、自宅を購入するときにはあまり気にしていなかったが、そこは洛中であった。


「洛中」。その定義は様々であるが、ここでは通りを中心として、古典的に定義することとする。つまり、北は鞍馬口通り、東は鴨川、西は天神川、南は九条通りである。いわゆる"old kyoto"だ。細かいことを言うときりがなく、北は北大路ではないかと言う意見もあるが、鞍馬口通りをはさんで明らかに雰囲気が変わっており、北は鞍馬口通りでいいだろう。東も、「祇園は鴨川より東だ」と言う意見もあろうが、祇園は洛中ではない。西と南に関しては、はっきり言ってどうでもよい。個人的には南は七条通り、西は西大路より向こうは京都ではないんだよね。


さて。そんな細かいことはどうでもよく、気が付くと、上記に記したエリアの中に自宅を購入していた。もちろん定年後も続く長いローンを組んでの購入(+リフォームローン涙)だが、そんなこともどうでも良い。購入したときには、「周りにはコンビニやスーパーがない」くらいにしか考えていなかったが、住んでみると実に魔界であった。


思い返せば、生まれたときは洛北であった。つまり洛中の北である。その後親の都合により徐々に南下を遂げ、ものごごろついたときには洛南の地で青春を過ごした。高校を卒業した後は洛東にある大学に通い、「憧れの地」沖縄に移住した後、ダデコ先生の介護問題で京都に帰って来たときには洛西の地に住居を定めた。つまり、京都に生まれ育ったのには違いないが、今まで「洛中」は全く縁がなかった。ここだけの話だが、実は洛中の友人も今までいなかった。まさに「謎の地」だったわけだ。噂によると、そこは魔界で、何百年も前から住み着いている住人が、日々式神を飛ばしているらしい。


コンビニやスーパーがないのも当然で、洛中は「分け入っても分け入ってもぎっしり家」状態なのだが、これに関してはまた別の機会に話を譲ることとしよう。


「京都人だけが知っている」を著した入江敦彦氏によると、「洛中に住むというのは、美味しいものに取り巻かれて暮らすという事だ。いや、五分ほども歩けば棒に当たるように銘店の二つや三つや十もなければ、そこは京都とはいえない」(京都人だけが食べている)ということを、実にひしひしと実感している今日この頃である。


例えば、歩いてすぐのところにある蕎麦の名店「かね井」。学生時代からちょくちょく通っていたが、今回近所さんという事で、その頻度は明らかに増大した。何も考えずに「美味い美味い」と通っていたが、気が付くとミシュランの星を獲得していた。のだが、出版されたミシュランガイドに店の写真が一切載っていなかった。という事は、あろうことにかミシュランガイドへの掲載を拒否したということらしい。それもまた京都らしい話なのだが、これもまた別の機会にしよう。


さて、そんなわけで魔界に住んでしまったわけだが、気が付くと猛暑一転寒い晩秋の季節になっていた。冷え切った身体を温めるのは別に自宅の浴槽でも十分なわけだが、たまには広い銭湯の湯で身体を温めたい。というわけで、今日はこれまた歩いてすぐのところにある銭湯で冷え切った身体を温めることとした。


支度をして銭湯に向かう。「船岡温泉」である。てめえが言うのもどうかと思うが、ここは日本一の銭湯である。その証拠と言っていいのかどうかわからないがなんとwikipediaにも一章が割かれており、銭湯の建物そのものが「国指定有形文化財」である。中には「日本初の電気風呂」「サウナ」「薬草風呂」「ヒノキの露天風呂」などあり、それでいて普通の銭湯料金で全てが楽しめる。京都市指定の銭湯回数券を握りしめ、今日も船岡温泉に向かった。ここはなぜか外人率が異常に高いが、どこぞの旅行ガイドブックにも載っているのだろう。


番台で回数券を渡し、湯に向かった。広々とした湯で一日の疲れを癒す。文化財に指定されているとのことだがそこは銭湯であり、温泉やスーパー銭湯では拒否されている刺青入りの方も、ほっこりと疲れを癒していた。てめえはヒノキの露天風呂に身体を沈め、まん丸なお月様を飽きずに眺めていた。