北京珍道中記其の壱 夢の跡

1988年10月15日。



学校の授業を終えた少年たちは、それまでにコツコツと貯めたなけなしの小遣いを握りしめ電車に乗った。近鉄から京阪に乗り換え、地下鉄を使って「ミナミ」へ。田舎町しか知らなかった少年たちにとって、地下から地上に出た目に映った「ミナミ」は、それまでに見たことのない猥雑な世界だった。



その猥雑な空間を少し歩くと、唐突に場外馬券売り場が出現した。その巨大な場外は、よく見ると野球場の一部だった。いつもは馬好きな人々が集うその場所は、その日に限って野球ファンが溢れ返っていた。少年たちが野球場に着いた時には、もうその日の切符は既に売り切れており、往年のファンたちが野球場への入場を求め怒声を上げていた。





なんばパークスのホークス資料館にはなぜか野村の業績がないらしい。今回は北京行きの乗り換えのわずかな時間を使って関空⇔なんば間を弾丸往復したため、球場跡のみしか確認できなかった。





1988年のあの日、なんとか少年たちが球場内に入場できたときはすでに試合は7回を数えていた。試合後にセレモニーがあり、水島新司は「ホークスは永遠に不滅ですっ!」と号泣したが、ホークスファンには杉浦監督の「では、行ってまいります」の方が心に残ったに違いない。





中国へ向かう機内ではパンとザーサイが出た。とりあえずパンにはさんでサンドウィッチにしてみた





夜、北京に着く。宿に荷物を置き、近くの飯屋で食事する。