北京珍道中記其の弐 在紫禁城



いつからか漠然と夢見ていた。
いつか北京に行くことができたなら。




大学での第二外国語も迷わず中国語にした。ドイツ語を選択する学生が多かったが、てめえの足りない頭をいくら捻っても、将来的にドイツ語を使用する場面を思い浮かべることができなかった。ドイツ語圏にいる自分も想像できなかった。


逆に中国語圏に居る自分は容易に想像ができた。美しい漢詩を、韻を踏みながら、鶴のような発音で詠み上げてみたかった。


いつか北京に行くことができたならば。
紫禁城万里の長城を訪れ、全聚徳で北京ダックを食べたい。その後に京劇を楽しみたい。
そんな夢を見ていたが、今回の旅ではその内3つを実現することができた。


どうでもいいことだが、大学に入学し教養科目を履修するときに、語学以上の教養を思い浮かばなかったてめえはたちまち他の科目を犠牲にし、空いた時間に第三外国語としてフランス語を選択した(履修は認められるが、不要な単位である)。中国語もフランス語も会話できるレベルにはほぼ遠いが、簡単な挨拶が出来たり数字を言えたり、簡体字を読めたりすることでいまだに役立っている。




今回の宿は北京昔ながらの街並みが残る胡同にある四合院をホテルにした宿にした(こちら参照。京劇の名優梅蘭芳の旧居でもある)。宿へ向かう道すがら「泰山石敢當」を発見。沖縄以外で見たのは初めてで、相当驚いた。とはいえもともと中国から伝わったものなので驚くことはないのだが(こちら参照)。





天安門広場から毛沢東の眠る館を望む。天には嘘みたいに雲一つない青空が広がっていた。以下の写真も同様であるが、決して合成写真ではない。





天安門の前には、各地より観光に来たであろう人民がひしめきあっていた。





紫禁城の中へと進み、太和門を望む。





太和門を超えると太和殿がある。歴代皇帝が各種セレモニーを行ったところであり、映画「ラストエンペラー」で幼い溥儀に多数の宦官達が平伏しているシーンもここで撮られた。




太和殿より太和門方向を望む。思わず「ラストエンペラー」を思い出す。真ん中の、龍が描かれている道は、皇帝しか通ることができなかったらしい。





保和殿。科挙を駆け上った秀才たちは、この保和殿の中で、皇帝の前で最終試験「殿試」を受けた。





保和殿の中にある掛け軸は、乾隆帝自らの書らしい。





保和殿までが皇帝のpublic spaceであり、保和殿を超えるとそこからは皇帝のprivate spaceとなる。つまり、ここからは「愛新覚羅家」の空間となる。この中央部分から西に住んだのが西太后であり、対の東側には東太后が住んだ。





長い赤壁。「ラストエンペラー」の中で、少年溥儀はここを自転車で疾走した。





九龍壁の前で呆然とする女。





珍妃の井戸。本当に小さかった。





紫禁城散策を終え、北海公園にある仿膳飯庄にて昼食。外国人観光客が多いのではないかと予想していたが、意外にも客の殆どは人民だった。結構な値段のするレストランなので、ここでも現在の中国の繁栄ぶりを感じることとなった。ここで食事とともに注文した白酒はとても滑らかで、滑るように喉を通って行った。





食後、北京の雑踏を歩く。