はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の壱 ベトナム初日。

「なぜベトナム? ラオス?」とはよく聞かれたが、理由はただ一つ。ハノイルアンパバーンは、それまで二人で訪れた場所の中で、最も心安らかにかつ幸せになれた街だからだ。


ベトナムは2006年に訪問した。相当暇になればそのうちまた旅行記書きましょうね。このときは、空路でベトナム南部のホーチミン市に入り、そこから陸路および空路で北上し、ハノイまで訪れた。南部の、隙あらばボる卑屈な人たちと、対極的にボることもなく穏やかで誇り高き北部の人たちが印象的で「もう二度とサイゴンには行かねえ! ハノイ大好き!」となって帰国した。


もう一つの国ラオスは2008年に訪問した(ここ参照)。誇り高き古都の人々が住む街ルアンパバーンがとても気に入り、いつの日か再訪したいと思っていた。


というわけで、迷うことなくはにーむーんは「ハノイルアンパバーン」となった。もちろんこんなわがままなツアーはなく、今までのようにすべて個人手配にて旅程を組んだのだが、これがまた大変だった。長くもない休暇を無駄なくこの二つの都市に充てるため、飛行ルートは


関西空港→(ANA)→仁川空港→1時間ちょっとの乗り換え時間→(アシアナ航空)→ハノイ


ハノイ→(ラオス航空)→ルアンパバーン


ルアンパバーン→(バンコクエアウェイズ)→バンコク(で1泊)→(タイ航空)→マニラ経由→関西空港


という、計5か国(韓国・ベトナムラオス・タイ・フィリピン)を跨ぐとんでもないものになってしまった。それぞれの航空会社、および滞在地のホテルに個別に予約を取ったのだが、これが大変だった。今回お世話になる航空会社で日本の会社ははじめのANAだけなわけで、てめえは辞書を引き引き英語のみならずタイ語ラオス語、タガログ語を幼稚に駆使し何とか旅程を組むことができた。さて、前の文に真っ赤な嘘がありますがどこでしょうか?





乗り換えの仁川では制限区域内でビールを少し飲んだ。ハノイに着いて、空港からタクシーに乗る。4年ぶりだが、あまり変わっていない印象。なんだか懐かしい感じがした。前回ベトナム訪問時には、サイゴンでタクシーに苦い経験をさせられたが、ハノイでははっきりと料金も明示されており、余分な請求も怪しい行動もなく、気持ちよく利用できた。今回も同じで、空港も清潔で町も整っており、道を歩く人たちの背筋も伸びているように思える。猥雑な南部の街サイゴンと、対極的に清潔な街ハノイ。まるで「資本主義vs社会主義」みたいな印象を受けた。まあ、実際は両方社会主義なのだが、かつての南ベトナム北ベトナムの違いは空気として残っているのだろうな。


ホテルは実は思っていたところと違うホテルを予約してしまっていたのだが、そのことに気付いたのはなんとホテルに着いてからだった。てめえが「Aホテル」と思って予約を入れていたホテルは実は「Bホテル」だったのだが、てめえが勝手に思い込んでいただけで、Bホテルにはきちんと予約されており、タクシーに示したホテルの住所もBホテルのものだった。したがってタクシーはまっすぐBホテルに向かい、ホテルの玄関に車を止めた。「えっ? 違うホテルジャマイカ!」とてめえは混乱したが、てめえがタクシーの運転手に示した住所はまさにそこであり、ホテルの従業員もにっこり出迎え「ス様ですね。お待ちしておりました」と部屋まで案内してくれた。何のことはない、てめえが一人で勝手に勘違いしていただけで、世の中はきちんと動いていたのだ。なんてこった。ハノイ中心部のホアンキエム湖近くのそのホテルは、こじんまりとしていたが部屋はなかなかだった。





到着したのが夜遅くだったので、とにかく腹が減っていた。てめえの記憶では22時ごろだったかと思う。ただ、タクシーで通ってきた街は、首都とは思えないほど静まりかえっており、開いている店も見かけなかった。「どこか食事できるところはありませんか」とフロントに聞いたが「近くに屋台があったと思いますが・・・。開いているかどうかわかりません。ホテルのルームサービスもありますが焼き飯くらいしか用意できません」とにこやかに言われてしまった。


じゃあその屋台に期待するしかなく、言われたとおりに歩いていくと、屋台らしき店を見つけた。「らしき」というのは、いかにもアジアテイスト香るプラスチック製のテーブルとプラスチック製の椅子が置いてあったのだが、人もおらず食べ物らしきものも見当たらなかったからだ。恐る恐る近付いてみると、そのテーブルの向こうにあった民家から人が出てきた。「?」「何か食事できますか?」とてめえは尋ねた。どうやらフォーが作れるらしい。


出来上がりを待ちながら、フォーはベトナムの朝ごはんなのになあ、などと不思議な気持ちになった。しばらくして運ばれてきたフォーは、とってもうまみ調味料の味がした。