ここ二日の行動。

11/20


御所の一般公開をしているとのことで、昨日は珍しく朝早く起きて御所に向かった。自宅から御所はなかなか微妙な距離であり、タクシーで行くには近く、バスで行くには乗り換えもありややこしい。鉄道はない。というわけで、健康と美容も兼ねてとりあえず歩いていくこととした。まあ言うても3kmやしな。町並みを楽しみながら歩くわけだが、西陣の町並みは古きも新たしきも混在していて全く飽きない。


30分ほど歩いて御所に到着。御所の建築様式や、庭などに興味があったのだが、人大杉。まったく堪能できず。「通路が大変狭くなっております。立ち止まらずに歩いてください」との号令の元、ただひたすら黙々と歩いた。なんだこの修行は。次回機会があれば、平日に行ってやると固く決意。


御所を後にして、七味唐辛子を買いに長文屋へ。ここの七味は間違いなく世界一、至高の七味だ。店に入るとたちまち香りの世界に包まれる。調合も、こちらの好みにあわせ目の前で調合してくれる。


七味を購入した後は、ぶらぶら家に向かいつつ路地を散策していると、なぜか北野天満宮の中へ。簡単に参拝を済ませ、家へ。まだ昼になっていなかったので、近所のワラビ餅屋「茶洛」に寄る。まだ商品が残っていたので、購入。ここのわらび餅は絶品だが、作った瞬間からどんどん劣化が始まるので、作り立てを持ち帰り、即時に食べるのが正しい。というわけで、購入後まっすぐ家に帰り、茶も入れる時間を惜しんでたちまち開封し、口に入れた。至福の時間。


11/21


今日も朝から船岡山に登る。実は初めて登ったのだが、さすが標高100m足らず。階段を登れば即頂上だった。そのまま引き返して家に帰るのも芸がないので、ぶらぶら歩くこととした。


東側から船岡山を降り、そのまま東へ。大宮通で南に下る。しばらく歩くと「たんきり飴」の看板が見える。その怪しげな風貌に気圧されて今まで店に入ったことは無かったのだが、今回はふらっと寄ることとした。店の方に聞くと、痰きり飴は生姜が強めの辛口と生姜が弱めの普通のがあるらしい。痰きり飴以外にも、いろんな飴や菓子が売ってあり、普段使いのお菓子によさそうだ。というわけで、いくつかの飴や菓子を購入した。店を出て、さっそく購入したての痰きり飴を頬張ったが、生姜がよく効いておりなかなか美味。いわば「冷やしあめをそのまま飴に固めた感じ」だ。


ゴキゲンに飴を舐めながらそのまま寺の内通りを西に歩くと、西陣織工芸美術館を発見。前から気になっていたが、これまたふらりと寄ってみた。中に入るまで知らなかったが、今日は関西文化の日だとかで、特別に無料だった。なかなか良いところで、西陣織会館とは異なり「美術館」を標榜しているだけはあり、西陣織の美を堪能した。


京都には通算して30年以上住んでいることになるが、洛中に住むまで全く知らなかったことが多いことに驚く。今更ながら気が付いたが、京都とは「職人の町である」という事だ。よく本などでも「京都に3代以上住んでいる家は、実は少ない」などと書いてあるが、それは洛外のことだ。自分も洛中以外の京都には長く住んでいたが、確かに3代遡ればみな京都以外の出身のものばかりだった。


ただし洛中は違う。ここは本当に職人の町である。千年以上の長きに渡り、天皇家やその周りの貴族たちに使えるべく、様々な職人が育った。その多くは子々孫々と受け継がれてきた。これは本当にすごいことで、今も続いているところは、その間には使えない子供たちは育たなかったという事だ。そして脈々と受け継がれていく以上は、その地を動くことはない。こうして今も、洛中は職人の町であり続けるのだろうと思う。こういった視点は、ここに住まなければ永遠に気付くことは無かっただろう。沖縄にずっと住み続けていたらならば、京都とは「冬は寒く夏は暑い、とても住みにくいところ」くらいの意識で死んでいったに違いない。


その職人文化の最高傑作が御所だと思い、一般公開に足を運んだのだが人大杉だったな。さっきも書いたが。


そんな土地なので、七味唐辛子の専門店やわらび餅の専門店、たんきり飴屋などが普通に営業していたりする。なるほどなかなか奥深いではないか、面白いなあなどと考えつつ、今日も船岡温泉に向かった。