はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の七 バンコク→一瞬マニラ




最終日はひたすら移動。奇跡的に下痢も止まり、バンコクからマニラ経由にて帰国した。これにて、めでたくはにーむーん終了。マニラ滞在は空港の中だけで、滞在時間は1時間くらいだった。何もすることなく、写真撮って終わり。またいつの日か、今度は空港の外のマニラを経験してやるぞーなどと思いを勝手にはせ、帰国した。


当初の予定通り、ハノイルアンパバーンを満喫できて大満足のはにーむーんだった。今度は子供も連れて行きましょうね。

はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の六 ルアンパバーン四日目




本日でルアンパバーンともお別れ。また来る日はいつの日でしょうか、などと考えながら、空港へ。


空港に着き、宿からチャーターしたトゥクトゥクから降りて荷物を降ろす時に、運転手に思いっきりてめえらの荷物を落とされてしまった。決して故意で落としたのではないのは明らかだったし、すげえ笑顔で「ごめんごめん」と言われたので、てめえらも「なんのなんの」と笑顔で返した。このときは、ハノイで購入した陶器が荷物の中に満載されていたことをうっかり失念していた。帰国後粉々になったバッチャン陶器とご対面してしばし呆然。まあ陶器はいつかは割れるわな。また今度ハノイに買いに行こうと、再訪する口実にすることにした。





空港内の免税店。民族衣装+αくらいしかなく、何も購入せず。





搭乗時間までまだ少しの間があったので、空港の向かいにあるレストランで一服。他に利用客なし。





もちろんビアラオで乾杯。このビアラオ、日本国内で出会ったことはないし、またラオスに来る時までのしばしのお別れだな。またいつの日かビアラオ飲みに来るぞー。





バンコクエアウェイズに乗り、一路バンコクへ。





バンコク到着。ラオスから来たのでとんでもない大都会だ。何階か忘れたが超高層ホテルに宿泊したため、やたらと眺望はよかった。





宿で荷を解き、一息入れる女。





バンコクの街中に繰り出す女。





伊勢丹まで歩く。この後てめえは猛烈な腹痛・下痢に襲われたため、たった一泊のバンコクライフはここ伊勢丹にて終了。このあと脂汗を書きながらホテルの部屋に戻り、日本から密かに持ち込んだ薬を飲んで寝た。下痢はけっこうハードで水様便が止まらず、寒気も止まらず。しかし病院に行く気は全く起きなかった。こういう時は、おとなしく薬を飲んで寝ておけば、脱水さえなければ治るものだ。夜中まで腹痛でのたうちまわっていたが、気が付くとぐっすりと眠っていた。朝起きると大量に汗をかいていたが、前日の腹痛はどこへやら。下痢もピタリと止まり、無事漏らすことなく日本へ帰国することができた。めでたしめでたし。





バンコクではあれもしたいこれもしたい、あれも食べたいこれも食べたいと考えていたが、結局どこにも行けず。唯一の食事はルームサービスで頼んだグリーンカレートムヤムクン。意外と美味しかったのでよかった。これはまた今度別の機会に、ゆっくりバンコクに来なさいという神の思し召しだな、などと勝手に夢想。

はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の五 ルアンパバーン三日目




今日も托鉢見物へと早起きを決行。





スも参戦するが、朝早すぎたためにエネルギーがないのか道端で見学。





托鉢の見学を終え、ようやく朝食にありつけると喜ぶ女。





飲み物は紅茶かコーヒーを選べたので、この日は紅茶を選んだ。てめえはよく知らなかったが、ラオスでは紅茶=「リプトン」らしい。まさかティーバッグが出てくるとは思わず驚いてしまったが、これを運んできたラオス人のお兄ちゃんは終始誇らしげだった。





この日はオムレツを選んだス。

食事前に、二人で「いただきます」をしていると、ラオス人の従業員のお兄ちゃんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「日本人の客は、みんないつも食事前に祈りを捧げているが、それは日本の文化か?」
そうか、そういえば他の国の人が「いただきます」しているのを見たことがなかった。「いただきます」に相当する言葉も、外国語にはあまりないと聞いたことがあるぞ。とすると、ラオス人に限らず外国の人からは不思議な慣習として見られているのだろうなとふと思った。
「イエス。日本人は、みな食事の前に、こうして感謝の意を示すのです」と、そのお兄ちゃんにてめえは答えた。





さらにバゲットのサンドウィッチもオーダー。けっこうボリュームがある。ベトナムもそうだが、ラオスもフランス植民地時代の名残で朝食にフランスパンがよく食べられており、しかも美味い。サンドウィッチにするときには地の鶏とか野菜などをナンプラーなどで味付けた東南アジアな具が挟まれるのだが、これが意外に合っていて美味い。





この日は一日自転車をレンタルし、街をうろうろ。というわけで、新しくできたマーケットを攻めてみた。ラオスの民族衣装などを購入した。





マーケットで携帯電話を物色する若い僧。





マーケット近くの店で昼食。ラオス語のコーラを飲むス。





二人とも麺料理を注文。野菜やハーブがおまけでついてきて、好きなだけトッピングできる。東南アジアは大体どこに行っても同じようにトッピングし放題。





ナイトマーケットでモン族の民族衣装を物色する若い僧侶。





夜は川の向こうのレストランへ。真っ暗でよくわからなくなっているため、電気で誘導されている。





橋は手作り感に溢れていた。ていうか、手作り。ほぼこのレストラン専用の橋になっていた。写真は真っ暗でよくわからないですな。





手作り橋を渡ると、これまた手作り感あふれる階段がアプローチになっていた。





この先にレストランの入り口があった。





もちろんビアラオで乾杯。レストランのテーブルは階段状に設置されていて、すべて川の方に向かっていた。席にはクッションなども置いてありけっこうくつろげたが、食事途中に真っ暗な中でうっかり電気の配線を引っかけてしまい、お酒の入ったグラスをなぎ倒してしまったのはご愛嬌ということで。

はにーむーんベトナムラオス珍道中記其の四 ルアンパバーン二日目

ルアンパバーンラオス第二の都市で、長く首都として栄えた街だ。街並みは清潔に整備され、ところどころに美しい寺院が点在する。メコン川とその支流であるナムカーン川に挟まれた市街地は、そのまま街丸ごと世界遺産に登録されている。街全体がとても静かで、そこに住む人々も誇り高い。京都という街も、昔はこういう街だったのだろうが、いまや景観は破壊され、悲しいことに昔の面影はわずかにしか残っていない。ルアンパバーンはいつまでもそのままであってほしい。





前回滞在時は二度寝したために見学できなかった托鉢を、今回は見学することにした。幸い今回の宿は、托鉢が始まる地点から徒歩ですぐのところだったので、今回は二度寝をキめずに出かけた。


まだ真っ暗な街に、どこからか人が集まって来た。市街地から離れているホテルでは、宿泊客のバスでの送迎もやっているようで、何台かのバスが道端に止まっていた。





ワット・セーンという寺院の前で、ラオスの主食であるもち米をかごに入れ、托鉢僧を待つ人々。最近は観光客も増えてきたらしいが、地元の方と思われる方が多かった。





もち米をあらかじめ用意し服装も整えておけば、だれでも参加できるらしいが、敬虔な仏教徒でも何でもないてめえはあまりにおこがましい気がして参加せず、見学するだけに留めた。


道路際を歩いている女性は、托鉢に参加しようとする観光客にもち米を売っているようだった。





しばらくすると、橙色の袈裟を着た僧侶たちが列を成して裸足で歩いてきた。











中には小学生くらいの子もいた。ラオスでは、子が男の子であれば、子供のうちに何年かをルアンパバーンの寺に修業に出すことが普通に行われているらしい。





托鉢見学を終え、てめえらの宿に戻る。





宿に戻り、食堂で朝食。さっそくラオス衣装に着替えやる気の見られる女。朝食メニューはカオソーイ(タイ北部やラオスでよく食べられている麺料理)やお粥、オムレツなど数種類の中から選択制になっていた。





てめえはカオソーイを選択。ベトナムやタイでもそうだったが、東南アジアの麺料理は、トマトやライムなどでうまく酸味を利かせているのが美味いと思う。





スはお粥を選択。途中でてめえのカオソーイと交換して食べ比べたが、お粥の方が美味しかった。鶏の出汁がよく出ていたが、ブロイラーではないラオス地鶏だからだろうな。





朝食後、街中をてくてくと散歩。途中で見つけた喫茶店に入り、一服することにした。マドラー代わりに入っているのは、確かレモングラスだ。





さっき食べたばかりなのに、てめえは軽食を。いや、記憶が曖昧だが昼食だったかもしれん。内容はメコン川でとれたものとか地のものとか、要はルアンパバーン料理で、美味しく頂きました。





またてくてくと街中を歩く。のどかな風景だが、ここはさっきの托鉢地点から少し歩いただけのまさに街中で、決して郊外ではございません。どこまでも青い空が印象的。





いったん宿に戻ると、ラブリーなタオルがお出迎え。いやあはにーむーん(恥)。





前回の旅行では行くことができなかったクアンシーの滝に行く。ここはルアンパバーンから30kmほどメコン川沿いに下って行ったところで、ツアーバスがあったのでそれを予約し出かけた。





滝を目指し、気合の入る女。





滝へと至る道の途中に突然、熊の保護区があった。





木彫りの熊に、思わず心奪われる女。





熊とポーズをキめる女。





飽きずにもう一度ポーズをキめる女。なんか指名手配写真みたいや。
ていうか何故かひっそりとパンダが。





川沿いに歩いているうちに、小さな滝を発見。水の色が美しい。





思わず水辺に吸い寄せられる女。





何かを発見した女。





スの指さした先では、観光客らしき人々が水着に着替え、水と戯れていた。用意のいいことに青空更衣室も近くにあった。どうやら戯れポイントとして有名らしい。





さらに先に進む。どこまでも水の青が美しい。空気もすがすがしく美味い。
溢れるほどのマイナスイオンのシャワーを浴びる。





メインの滝に向かい、ますます気合の入る女。





先に進むと、メインのクアンシー滝に到着。写真の撮り方が悪いのだろうが、実物はもっと迫力があった。





滝の入り口に戻る。バスの時間までしばらくあったので、とりあえず焼き鳥とビールを。焼き鳥はその場で焼きたてのものが出てきた。ラオス地鶏は噛み応え十分でとても美味かった。





滝からの帰り道では、山間の村で休憩。民族衣装などを売っている家があった。村の中をぶらぶら散歩する。藁葺き屋根の家が続く。





セパタクローを楽しむ村の少年たち。





ルアンパバーンに戻ると、ナイトマーケットが始まっていた。





手作り感あふれる店が並ぶ。





あっという間に日が暮れる。モン族の人々の民族衣装が美しい。





宿に戻ると、猫がお出迎え。





宿の屋根の向こうには、満月が昇っていた。はにーむーんだからな(違)。





宿から少し歩いたところにあるレストランで夕食。今回の食事は黒いビアラオを注文した。





ラオス料理に舌鼓を打ち、満足気な女。たくさん写真を取った一日だった。

はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の参 ベトナム三日目→ルア




ホテル前の朝マーケット。路上で様々なものが売られていた。





朝食バイキング。この日も窓際の席をゲットした。





街中をぶらぶらし、昼食。こうしてみると、食べっぱなしのようではないですか(恥)。写真には撮っていないが、街中では竹でできた容器や、ハノイ近くのバッチャン産陶器などをしこたま購入した。





昼食後はハノイ・ノイバイ空港に移動し、待ち時間にまったり。ここでも食べたり飲んだり。いったい何を頼んだのかもう忘れましたとさ。





久々のラオ航空に、思わず笑みのこぼれるス。





機内食





中身はあまりラオスっぽくない。てか、ほんまに食事ばっかりですな。





ルアンパバーンに着いたころは、すでに夜だった。





無事入国を終えたス。





宿はシンプルで清潔だった。まあはにーむーんだしな。





思わず気絶するス。





荷物を置くと、早速メコン川沿いのレストランに行き、ビアラオを注文。
よーしのんびりするぞー。

はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の弐 ベトナム二日日。

朝目覚めると、ホテルの前の道路がやたら騒がしい。窓を開けてみると、昨晩はひっそりしていたホテル前の通りがまるごとマーケットになっていた。大勢の行き交う人。大きな声を張り上げて物を売るおばちゃん。皮を剥かれただけの鶏。ああアジアや、と実感した。


今回の旅は、いろいろと観光名所を回ることはせず、ただ街の中でぼーっとすることが目的。まさしく心の洗濯や。







朝ごはんはホテル最上階のレストランでバイキング。特に気合を入れたわけではないのだが、マーケットの喧騒に思わず早起きしてしまいレストラン一番乗りを果たしたので、もちろん窓際の席に腰を落ち着けた。さっそく料理を選びに行ったが、どれもおいしそうだったので、少しずつ皿に取り分けた。





レストランからの眺めは、朝もやの中のハノイ旧市街。今回の宿は旧市街の中を選んだ。コンクリートむき出しの横壁はなんだか無機質な印象を受けるが、よく見ると鰻の寝床になっていることがよくわかる。この写真ではよくわからないが、旧市街の中は通りもほぼ碁盤の目になっていた。そこにより多くの住宅を作るためには、通りに面した部分をできるだけ小さくし、奥行きの深い家とならざるを得ないわけだ。限られたスペースの中に、効率よく通りを作って住宅を作って、となると、おそらくどの都市も、究極は碁盤の目に鰻の寝床といったような同じような構造になってしまうのだろう。おなじく古都である京都との類似点をこんなことろで見つけてしまった。





ハノイ市街をうろうろし、行きつけの店(笑)「チャーカーラボン」へ。この店の名物は「チャーカー」という、魚(おもには雷魚だそうだが、いろいろあるらしい)をターメリックで揚げたもので、メニューはこれ一種類のみ。なので、席に座るとまず七輪に乗った鍋が出され、その後に人数分の「チャーカー」および香草、ピーナッツと、「ブン」という米の麺が出てくる。この麺は、まるで茹で過ぎてへなへなになったソーメンをそのまま放置したような麺だった(昔給食に出ていた「ソフト麺」に似ているといえばわかる人はわかるか)。熱くなった鍋の中にチャーカーと香草を入れ、よく炒めてからブンの上に載せて食べる。以前に来た時と同じ、相変わらずの味を堪能した。また来ましょうね絶対。





店内でくつろぐハノイの人々。前回来た時もそうだったが、今回も観光客というよりは明らかに地元の人が多かった。





ホアンキエム湖を散策。すっかりくつろぐス。





夕食で、珍しくワインを楽しむス。もちろんワインはベトナムのダラット産で、たくさん頼んだベトナム料理とよく合った。やっぱり地のものを食べるときは地の酒に限る。

はにーむーんベトナム・ラオス珍道中記其の壱 ベトナム初日。

「なぜベトナム? ラオス?」とはよく聞かれたが、理由はただ一つ。ハノイルアンパバーンは、それまで二人で訪れた場所の中で、最も心安らかにかつ幸せになれた街だからだ。


ベトナムは2006年に訪問した。相当暇になればそのうちまた旅行記書きましょうね。このときは、空路でベトナム南部のホーチミン市に入り、そこから陸路および空路で北上し、ハノイまで訪れた。南部の、隙あらばボる卑屈な人たちと、対極的にボることもなく穏やかで誇り高き北部の人たちが印象的で「もう二度とサイゴンには行かねえ! ハノイ大好き!」となって帰国した。


もう一つの国ラオスは2008年に訪問した(ここ参照)。誇り高き古都の人々が住む街ルアンパバーンがとても気に入り、いつの日か再訪したいと思っていた。


というわけで、迷うことなくはにーむーんは「ハノイルアンパバーン」となった。もちろんこんなわがままなツアーはなく、今までのようにすべて個人手配にて旅程を組んだのだが、これがまた大変だった。長くもない休暇を無駄なくこの二つの都市に充てるため、飛行ルートは


関西空港→(ANA)→仁川空港→1時間ちょっとの乗り換え時間→(アシアナ航空)→ハノイ


ハノイ→(ラオス航空)→ルアンパバーン


ルアンパバーン→(バンコクエアウェイズ)→バンコク(で1泊)→(タイ航空)→マニラ経由→関西空港


という、計5か国(韓国・ベトナムラオス・タイ・フィリピン)を跨ぐとんでもないものになってしまった。それぞれの航空会社、および滞在地のホテルに個別に予約を取ったのだが、これが大変だった。今回お世話になる航空会社で日本の会社ははじめのANAだけなわけで、てめえは辞書を引き引き英語のみならずタイ語ラオス語、タガログ語を幼稚に駆使し何とか旅程を組むことができた。さて、前の文に真っ赤な嘘がありますがどこでしょうか?





乗り換えの仁川では制限区域内でビールを少し飲んだ。ハノイに着いて、空港からタクシーに乗る。4年ぶりだが、あまり変わっていない印象。なんだか懐かしい感じがした。前回ベトナム訪問時には、サイゴンでタクシーに苦い経験をさせられたが、ハノイでははっきりと料金も明示されており、余分な請求も怪しい行動もなく、気持ちよく利用できた。今回も同じで、空港も清潔で町も整っており、道を歩く人たちの背筋も伸びているように思える。猥雑な南部の街サイゴンと、対極的に清潔な街ハノイ。まるで「資本主義vs社会主義」みたいな印象を受けた。まあ、実際は両方社会主義なのだが、かつての南ベトナム北ベトナムの違いは空気として残っているのだろうな。


ホテルは実は思っていたところと違うホテルを予約してしまっていたのだが、そのことに気付いたのはなんとホテルに着いてからだった。てめえが「Aホテル」と思って予約を入れていたホテルは実は「Bホテル」だったのだが、てめえが勝手に思い込んでいただけで、Bホテルにはきちんと予約されており、タクシーに示したホテルの住所もBホテルのものだった。したがってタクシーはまっすぐBホテルに向かい、ホテルの玄関に車を止めた。「えっ? 違うホテルジャマイカ!」とてめえは混乱したが、てめえがタクシーの運転手に示した住所はまさにそこであり、ホテルの従業員もにっこり出迎え「ス様ですね。お待ちしておりました」と部屋まで案内してくれた。何のことはない、てめえが一人で勝手に勘違いしていただけで、世の中はきちんと動いていたのだ。なんてこった。ハノイ中心部のホアンキエム湖近くのそのホテルは、こじんまりとしていたが部屋はなかなかだった。





到着したのが夜遅くだったので、とにかく腹が減っていた。てめえの記憶では22時ごろだったかと思う。ただ、タクシーで通ってきた街は、首都とは思えないほど静まりかえっており、開いている店も見かけなかった。「どこか食事できるところはありませんか」とフロントに聞いたが「近くに屋台があったと思いますが・・・。開いているかどうかわかりません。ホテルのルームサービスもありますが焼き飯くらいしか用意できません」とにこやかに言われてしまった。


じゃあその屋台に期待するしかなく、言われたとおりに歩いていくと、屋台らしき店を見つけた。「らしき」というのは、いかにもアジアテイスト香るプラスチック製のテーブルとプラスチック製の椅子が置いてあったのだが、人もおらず食べ物らしきものも見当たらなかったからだ。恐る恐る近付いてみると、そのテーブルの向こうにあった民家から人が出てきた。「?」「何か食事できますか?」とてめえは尋ねた。どうやらフォーが作れるらしい。


出来上がりを待ちながら、フォーはベトナムの朝ごはんなのになあ、などと不思議な気持ちになった。しばらくして運ばれてきたフォーは、とってもうまみ調味料の味がした。